平安時代と今と

先日読んだ「むかし・あけぼの」に引き続き*1橋本治著「桃尻語訳 枕草子」を読んでいる。原作を読むのは、とてもじゃないけど難しい。でも、現代語訳、今にしてみるとちょっと時代が古くなった部分もあるけれど*2、当時の若い人たちの言葉に翻訳しなおして書かれている本著は大変理解しやすい。はしょる部分ははしょり、でもきっちりと説明するところは説明してくれ、リズムよく、ポンポンと読ませてくれる。
情感なんていうものはその時代でないとなかなかわからない部分もあると思う。それでも、平安の世に生きた清少納言という女性の感性と自分の感性が少しでも重なると、時代を経ても共感できることの嬉しさを感じる。
例えば、きれいな女性が寝起きで髪の毛がぼさぼさになっているのが良い、とか。台風の後、立蔀(たてじとみ)や透垣(すいがい)の格子に木の葉が刺さっているのは、粗っぽい風邪の仕業とは思えない、とか。うんうん、確かに!と読みつつも、こういうことを文章にすること自体、面白い人だなとおもう。
一方で、こんな感じ方もあるんだなぁと思うところもある。
例えば、第百七十一段で、女性が一人で荒れ果てたところに住んでいて、そこの池にも水草がはったり、庭もヨモギが茂ってしまっているような荒れ果てたところに女性が一人で住んでいるというのにジーンとなっているかと思えば、きれいな人が完璧に家を手入れして、門もしっかりと固めて自己主張していることにげんなりしている。
どうやら、あばら家の草ぼうぼうの家にどんな素敵な女が住んでいるんだろう?と想像するのが当時のロマンチシズムだったらしい。

(一七一段)
 女のひとり住む家などは、唯いたう荒れて、築土などもまたからず、池などのある所は、水草ゐ、庭なども、いと蓬茂りなどこそせねども、所々砂の中より青き草見え、淋しげなるこそあはれなれ。物かしこげに、なだらかに修理して、門いとうかため、きはぎはしきは、いとうたてこそ覺ゆれ。

「むかし・あけぼの」を読んでいたおかげで、この草紙の背景が頭に入っていたのもあり、読みやすかった。

桃尻語訳 枕草子〈上〉 (河出文庫)

桃尻語訳 枕草子〈上〉 (河出文庫)

桃尻語訳 枕草子〈中〉 (河出文庫)

桃尻語訳 枕草子〈中〉 (河出文庫)

桃尻語訳 枕草子〈下〉 (河出文庫)

桃尻語訳 枕草子〈下〉 (河出文庫)

*1:むかし・あけぼの 上 ―読書中ですが - * cosi cosi *

*2:単行本としては、1988年12月に河出書房より刊行